2015年2月8日(日)第493回月例会(四万十町折合逆島、折合大郷山国有林ほか)が行われました。
林道の分かれからさらに10分ほどで,折合のヒノキ登山口に到着.10時30分に登山を開始.尾根道まで急なジグザグ道を登る.登り始めはアラカシ,スダジイの多い林であるが,しだいにイチイガシ,ツクバネガシ,ウラジロガシそして,尾根筋はアカガシの多い林となる.アカマツの大木が点々と残り,大きなヒノキの伐根も多い.この辺りはかつてヒノキの天然林で多くの良材が伐り出された跡だそうだ.伐根の多くが黒く焦げたようになっており,昔ヒノキの油を採った跡だという.戦時中に戦闘機の燃料に使うために根株を炙ってオイルを抽出したそうだが,いったいどのような方法で抽出し,どのくらいのオイルが採れたのだろうか.
折合のヒノキ、手前が去年折れた大枝 |
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11時40分頃ヒノキの大木に到着.
実はこのヒノキは1988年(昭和63年)に行われた環境庁の全国巨樹巨木調査において,当時胸高直径9.9mで,樹種別のヒノキで日本一とされた.それ以前『土佐の名木(昭和46年)』に「幹周9.9m,樹高30m,昭和38年の台風により3本の大枝が折れ,折れた枝の周囲が折れ口から3mの上部で3m,1.52m,3mある.またこのヒノキには直径60cm高さ4mの空洞があり,また,幅70cm深さ30cmと幅50cm深さ70cmの二つのオノの跡がある.このオノの跡は,昭和4年にはすでについていた.現在地上3mのところで5本に分枝,うち2本が生きている.満身の傷ではあるが,すぐに枯死することはあるまい.天下の大ヒノキである.」と紹介されている.その後2002年の朝日新聞のコラムで,「今年の台風で大枝が折れて付け根の幹も裂け,幹周は8m25cmとなり,2位であった石川県の8m78cmのヒノキとトップ交代は必至の情勢.しかし,地元の四万十森林管理署の職員らは,長生きさせて返り咲きをと知恵を絞っている.」という記事も出ていたのだが,その願いもむなしく,昨年の台風で,最後に残っていた大枝もついに倒れ,今日のような姿になってしまったものである.それでも一人この遠い尾根に立ち尽くしていた孤高の大ヒノキ,800年とも900年ともいわれるその生涯を思うとその崇高さに言葉を失う.周囲を回ると,倒れた大枝が横たわり,その大きさに圧倒され,これらが立っていた頃を想像して,そのころに見たかったと思う.この大ヒノキが青々と繁っていたのはいつの頃なのだろうか.
それにしても寒い,倒れた大枝の上に雪が残り,皆が傍らで昼食をとり始めたころ,ひときわ強い風と,それに乗った雪が舞いだした.
12時20分頃,かじかむ手をさすりながら早々にヒノキを後にする.帰りは滑る道に注意しながら40分ほどで登山口に戻った.
まだ時間があるので,1時30分ころバス停大越付近の河原で開花中のバイカオウレンを観察し,さらに下の桧生原の大ジイ(胸高周囲680cm)を見て,松葉川へ向かった.温泉上の鈴ヶ森歩道沿いのバイカオウレン自生地はまだ1輪のみの開花だったので,開花中の日野地の河内神社のバイカオウレンを見て3時30分に現地で解散した.
帰りに高速道路の気温表示は5℃.山の上は0℃近かったのではないだろうか.滑らないためと思ってスパイク地下足袋にした選択は誤りで,足の親指の爪は黒く変色してとても痛かった.(文・写真:鴻上泰)