沿革・あゆみ
1974年12月8日 | 土佐植物研究会 発足 |
第一回月例会 高知市円行寺 | |
1978年7月日 | 「高知県の植物」創刊号発行 会員数26名 |
1985年4月19日 | ニュースレターNo.1発行 |
(1994年~1995年 環境庁版RDB調査) | |
1996年~1998年 | 高知県版植物RDB委託調査 |
2004年1月25日 | 創立30周年記念祝賀会 城西館 |
2001年~2006年 | 高知県植物誌調査協力 |
1974年10月,土佐清水市今の山での日本シダの会四国支部大会に参加のヤングボタニスト達の中から「高知県植物誌」発刊の提案が有り一同賛同。
11月前川文夫東京大学名誉教授の来高を機に既に活動していた土佐嶺北植物同好会のメンバー、日本シダの会のメンバーを中心に当時高知女子大学教授であった赤沢時之先生を指導者として「高知県植物誌」を作るための調査研究を目的とした土佐植物研究会が発足した。第一回月例会を12月8日に高知市円行寺、鴻ノ森で開催している。
例会を重ねた1978年7月に「高知県植物誌」完成までの過程としてそれまでの成果を「高知県の植物」として刊行。その時の会員数は26名であった。
バブル期の1991年日本各地でのゴルフ場開発の波の中、日高村槇山のドウダンツツジ自生地のゴルフ場開発が持ち上がり保護運動に取りくむ。ごく一部を残してゴルフ場となり今後の会のあり方に一石を投じた。
1994年から環境庁の絶滅危惧植物の調査が始まり、会員の一部が協力した。環境庁版RDBを受けて高知県でも1996年から1998年に高知県版RDB植物編の調査が実施され土佐植物研究会が委託を受け調査した。
2001年に高知県の事業として植物誌のための調査が開始され、紆余曲折を経て2009年会員が全面協力し、標本を基とした待望の「高知県植物誌」が牧野記念財団より刊行された。